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真夏はシーズンオフ - ローメンテナンスの庭づくり [├ガーデニング・エッセイ]

青い空いつの間にやらセミがうるさい。

暑い。なんだか苦々しい青い空。

日本の夏だなぁ。


種まき、植え替え、剪定、花がら摘み・・・

ガーデニングを趣味としているからには、好き、嫌い、得意、不得意はあるかもしれないけれど、庭作業のすべてがイヤってことはないはずだ。咲いている花が見たいのならば、公園なり植物園なりに行けばいい。家で見たいのならば、切り花を買ってくればいい。自分で育てた植物を、育てる過程をも含めて楽しむからこそ、ガーデニングという趣味になる。

とはいえ、そればかりにかまけることができる人は少なく、他の用事やら、体調やらで、できないこともある。可能な限りローメンテナンスで庭を作りたい、という人は、多いだろう。私もその一人だ。

ものぐさガーデナーがローメンテナンスのためにたどり着いた一つのアイデアが、真夏はシーズンオフ、である。

シーズンオフなので、何もやらない。
水やりも草取りも。
まぁ、気が向いたらやることもあるけど。

ローメンテナンスにとって、一番の障害は、心にそれが引っかかっている、ということだと思う。
しないと決めれば、そのために心を煩わせることもなく、平穏な日々が送れる。

しないと決めるだけでは、楽にならない?
そうかもしれない。
雑草がはびこるし、水が途絶えて枯れる植物も出るかもしれない。
もちろん、そうならないように手は尽くすが、割り切りも肝心だ。

まず、雑草。
冬にはどうせ枯れる。
その前に秋の作業の開始が草取りから始まるにすぎない。

まぁ、見栄えは落ちるよね。ある程度は、仕方がない。

ガーデニングを始める前は、花というのは真夏に咲くものだと思っていた。アサガオの印象が強かったのだろう。初めてからわかったことは、真夏に咲く花って少ないってこと。アサガオだって、たくさん花を付け出すのは秋になってからだ。

花が少ないのならば、割り切るのは楽だった。

ガーデニングは秋から始まり、春から梅雨明けまでが花の季節。で、梅雨が開けて、紫陽花を剪定したら、このシーズンは終わり、である。残暑が収まる九月半ばまで、庭作業はお休みする。

もう一つは水やり対策。
絶対的に重要なのは、鉢植えを作らないこと。
少なくとも、ローメンテナンスにしたければ、鉢植えは少なければ少ないほどいい。

真夏の鉢植えは、水やりを忘れてダメになる日が、数日ある。
毎日ちゃんと水やりをしていても、その一日に忘れるとアウト。
かなりシビアだよね。

アウトになる日、ってのは、暑い。
植物がダメになるくらいなんだから、人間にだって暑い。
水やりをしたくないくらい、暑い。

そこを頑張れるなら、そもそもローメンテナンスなんて考えないだろう。
頑張って超えられるものは少ない。
ローメンテナンスというのは、そういう頑張れば何とかなる、という根性を排除することから始まる。

ダメになるなら、そもそも無ければいい。
で、うちの場合は、基本、地植え。
秋植えの一年草で鉢植えを作ることはあるけど、夏越しはしない。
それ以外の季節なら、水やりは、そこそこルーズでもなんとかなるんだよね。

全部地植えなんて場所がないよ、という人がいるかもしれない。
でも、鉢植えはあるんだよね?
鉢植えにしたから、場所が少なくて済む、なんてことはあまりない。
多少は、吊り下げられるけど、空中に浮かべることは、基本的にできないのだから。

鉢植えがある、ってことは、場所がある、ってことだ。

よく、駐車場の半分に鉢植えがびっしり並べてある家を見る。
空いている隙間は、車が停まるのだろう。
下がアスファルトなりコンクリなりで固めてあるから、鉢植えにしてるんだろう。

でも、あれだけの広さを鉢植えで埋めるなら、ちゃんと花壇を作ればいいのに、と思う。
屋上緑化の技術が発達してきてるから、そういう場所でも花壇は作れるんじゃないかな。
鉢植えの間に砂を入れてつなげて、擬似的に大きな地面にするという方法もある。

まぁ、それでもダメなこともある。
やっぱり割り切りは必要だ。
水切れに弱い植物は、諦めるのも肝心だ。

それでも、やっぱり、「夏に手間がかかる植物」が育てたいかもしれない。

それなら、他の作業は徹底的にローメンテナンスにすることだ。

庭をローメンテナンスにするのは、他のことが出来る余裕を作るためだ。
「他のこと」とは、「夏に手間がかかる植物」であってもいい。

秋から始めるガーデニングのススメ [├ガーデニング・エッセイ]

気がつけば、今年もあと~日。書きたきゃないけど、一年って短いねぇ。

バックヤードの芝生 さて、その一年ほど前のことだけれど、バックヤードに芝生ゾーンを作った。この一年、紹介してこなかったけれど、今はこんな感じ。なんとか、芝生、らしい?


紹介してこなかったのは、上手くいってなかったから。芝生ゾーンを作ったときに撒いた種は、やはり古かったのか、ほとんど芽が出なかった。春に、種を買って、撒きなおしたんだけれど、これが上手くいかなかった。

芽は、少しだけ出た。たぶん、ほとんど鳥に食べられちゃったんじゃないかな。少しだけでた芽は、いくつか成長したけれど、とても芝生という感じじゃなくて、ほとんど雑草だった。

結局、秋になって、新たに種を撒きなおして、なんとか今のように芝生らしくなったというわけ。



日本人は、何かと春になったら始めるという習慣がある。ガーデニングもそう。「暖かくなってきたから、ガーデニングをはじめよう!」みたいな。

だけどねぇ、春からのガーデニングって大変だよ。

件の芝生がそうだけれど、タネを撒いても鳥に食べられたり、芽が出ても虫に食われたり。雑草も精力旺盛。水やりもちゃんとやらないといけない。育てる植物も、元気に成長するけれど、まわりの環境も勢いがあるから、私のようなものぐさガーデナーには、結構きつい。初心者なら、なおのこと、じゃなかろうか?

私のガーデニングは秋から始まるって、前に少し書いたけれど、秋にちゃんと準備しておくから、春から初夏にかけて、綺麗な庭が見られる。「ガーデニング」のイメージにある「花いっぱい」というのは、日本では晩春から初夏にかけてのことだから、春、特に暖かくなってから、始めるのでは遅いのだ。

秋に始めるのは、利点も多い。

虫食いは少ないし、雑草も大きくならない。水やりも、多少忘れても問題ない。植物の成長も遅いけれど、まわりの環境もおとなしいから、手入れが楽なのだ。ガーデニングの二大作業は、水やりと雑草とりだと思うけれど、秋から始めると、どちらもほとんど必要ないというのがいい。水やりなんて、夏だと一日忘れてアウト、でどれだけダメにしたことか・・・

それに、秋植え球根は種類も多い。これは、植えておくだけで、ほとんど手間がかからないから、ものぐさガーデナー向きで、しかも春から豪華な花を咲かせる。樹木も、落葉樹は冬が移植の適期。成長してからの移植は難しいから、ちゃんと場所を考える時間が秋からならある。

まぁ、雪が降るような地域では違うかもしれないけれど、いわゆる関東以西と呼ばれる暖かい地域なら、もっと秋から始めるガーデニングをすすめてもいいんじゃないかな?

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春のバラ、ということ [├ガーデニング・エッセイ]

最近、ちょくちょく目(耳)にして、気になる表現がある。「春のバラ」である。バラが咲き始めるのって、夏じゃないの?

バラが咲くのは、5月中旬以降。3月からを春と考えて、ひとシーズンを三ヶ月とするならば、5月は、まだ春ということになる。Wikipediaの立春の項目によれば「春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を"Spring"とするのに対し・・・」とある。となれば、「春のバラ」というのは、あながちおかしいわけでもない。


しかし、日本的にいえば、バラは夏の季語になっているし、立春が2月だから、ひとシーズンを三ヶ月とするならば、5月は、夏、ということになる。左ペインの上部にある、季節暦では、この基準なので、初夏、と表示されるはずである。

はたして、5月は、春なのか?夏なのか?

「立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配になっていく」と言われる。実際には、冬至と春分(これは、黄道上の太陽の位置で決まる)の中間を立春と定めただけで、「寒さが緩み始める」というのは、たまたま、ということになる。まぁ、暖かくなっていくのは事実だけれど、寒いのも事実で、まだまだ冬のイメージが強い。

季節の変わり目、というのは、基本的に前の季節のイメージが強い。たとえば8月。6月から夏とするならば、まだ夏なわけで、学校はまだ夏休み。だけど、立秋が8月7日ごろだから、この基準だと秋になる。暑中見舞いを出すのは、このころまで、と言われる。気候的には、高原などでは秋の気配があるけれど、下界の平野部では残暑が厳しい時期で、まだまだエアコンは手放せない。

そして、初冬。紅葉といえば秋!標高が高ければ10月から紅葉するけれど、本番は11月だろう。8月が夏ならば、11月は、めでたく秋である。だけど、立冬は11月7日だから、もう初冬でもある。

だいたいにして、日本国内でだって、北と南では気候がかなり違うんだから、それを太陽の動きだけで分割してしまうことに、かなり無理がある。ひとシーズンが三ヶ月、なんて考えられるだけでも、「四季がある」といわれる日本の特殊な地理のおかげで、それさえ一部の地域でしか通用しないわけだ。さらに、暖かい年や、寒い年などがあり、季節なんて、きっちりかっきり変化しない。それを考えれば、5月が春なのか、夏なのかなんて、たいした問題じゃない。


それでも、季節暦では、立春を春の始まりとして、5月は初夏=夏とした。これは、私がこの季節が最も好きだから。寒くもなく、暑すぎず、新緑がきれいで、庭はガーデニングの成果がクライマックスを奏でている。「初夏」という響きが、最もこの季節に合うと思う。それに、6月から夏とすると、いきなり梅雨になってしまって、いまいち冴えない。

さて、そうすると、他の季節では、少し変化が早すぎるような気もした。残暑が厳しいのに8月が秋というのも、紅葉がこれから本番なのに11月が冬というのも、なにか違う気がする。そこで、外枠と内側の色を変えることで、季節の変わり目(初春、初夏、初秋、初冬)を表現してみることにした。11月であれば、冬のモノトーンな感じを外枠のグレーで、紅葉真っ盛りな様子を中のオレンジで表している・・・つもり。さて、季節が変わる感じがしますでしょうか?
タグ:季節

開拓期終了宣言 [├ガーデニング・エッセイ]

バックヤード

バックヤードの奥に芝生ゾーンを作り、そこまでバークチップを敷き、バックヤードも、ほぼ形になった。これでフロントガーデンからバックヤードまで、庭を作れる範囲には、一応、なんらかの手が入ったことになる。なにはともあれ、

ここに、開拓期の終了を宣言する!

ベンチの下や家側のアーチの下が、まだ中途半端なままで、画竜点睛を欠くというところではある。レンガを敷くつもりだったけど、予定していたレンガが手に入らないので、計画が変更になったからだ。まぁ、仕方が無い。開拓期が終わったからといって、庭づくりが終わったわけじゃない。これからは、よりグレードアップした庭を目指すわけだから、その一環と考えればいい。

土を削り、穴を掘り、石や岩を取り除く作業は、まさに開拓と呼ぶにふさわしかった。ここに来るまで、およそ6年。3年程度で、このくらいはできると思っていたから、およそ倍の時間がかかったことになる。とはいえ、長かったのか、短かったのか。

これからは、作り直しになってくる。以前作ったものを活かしたり、壊したりしないといけない。そういうのは、新規に作るより大変だろう。植物の組み合わせも重要になってくる。今までのように空いているところに、ほいほいと植えていくこともできない。植え替えも必要だろう。もともと、リニューアルも、細部を詰めていくのも、苦手なのだ。人生日々修行というものか。

開拓期の後はなんと呼べばいいのだろう?すでに改良したい箇所は、いくつもあるけど、グレードアップの目標は、まだ見えていない。もっと気持ちよく過ごせる空間にしたいなと、漠然と思っているところ。というわけで、まだまだがんばります!これからの庭の発展も楽しみにしてください。

趣味の園芸 [├ガーデニング・エッセイ]

仕事から帰るとNHK出版からの郵便物が届いていた。年間購読をしている「趣味の園芸」のテキストである。袋を開けると、少しイメージが違う。

あぁ、4月号か。

日本において一年の始まりは4月であることを実感する。ぱらぱらと少し見る。ん?なにか、物足りない。もう一度、ぱらぱら・・・と、「山田香織の盆栽家12か月」が目に留まる。おぉ、かおりんの新連載だ。本文を読み、右ページの写真を見る。ページいっぱいの笑顔の写真。「4月より司会をつとめさせていただきます」の文字。ほぇ?

お世話になりました。趣味の園芸! (柳生真吾の八ヶ岳だより)

真吾さんの司会、3月で終わりなのね。びっくり。物足りないのは、真吾さんの連載がなかったからか。

ガーデニングにはまって、「趣味の園芸」を見始めたときには、司会はすでに真吾さんだった。その前は知らない。だから、私にとって、「趣味の園芸=柳生真吾」だった。あとで知ったところによれば、真吾さんが司会になった年が、私がガーデニングを始めた年だった。真吾さんが司会を勤めた8年、それは、私のガーデニング暦になる。

庭づくりには興味があっても、園芸にはあまり興味がなかった私にとって、当初、「趣味の園芸」という番組は、とりあえず押さえておくもの、でしかなかった。相方の吹田さん目当てで見ていたように思う。それが変わったのは、「多肉」の番組だった。うれしそうに、楽しそうに話す姿が印象的だった。「本当に好きなんだな」それから徐々に気になるようになり、名前を見かければ録画し、本を買い、八ヶ岳倶楽部にも行った。いつのまにやら、しっかりとファンになっていた。

年度が変わっても、そのまま司会なんだと、それが当たり前のように思っていた。だから、さびしい。でも、変化は常に訪れるもの。まずは、お疲れ様でした。

寒樹の姿そして南風 (山田香織の盆栽日記)

さて、新司会の山田香織さんは、盆栽の講師で、もはやおなじみの顔。「趣味の園芸」は、どのように変わっていくのだろう?これはこれで、楽しみである。

「趣味の園芸 ビギナーズ&やさいの時間」という別番組も始まるようなので、テーマを絞りやすくなるだろうか。個人的には、初心者向けというよりは、中級者向けにステップアップを狙った内容に期待したい。

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バラ - 日本の庭を彩る重要な要素 [├ガーデニング・エッセイ]

バラは嫌いだった。ガーデニング雑誌は、なにかというとバラの特集ばかりだし、園芸品種で手間がかかるというイメージにへき易していた。庭を造るときに、バラは使わない、と決めていたほどだ。だけど、今では、ノックアウトとミニバラ4種を育ててきて、この冬にミニバラ2種を追加し、さらにもう少し増やそうかと思っているところだ。

趣旨換えの理由は、イメージだけで毛嫌いしないようにしようと思ったのと、バラのオーガニック栽培などが特集され、品種を選べば特に手間がかからないものだと分かってきたことだろうか。

単に毛嫌いしないようになっただけではなく、もう少し増やそうかと考えているのは、バラという品種の魅力に気がついたからである。これは、単に「花がきれい」ということではない。庭を構成する要素として、匹敵するものが他に見当たらないということにある。特に、秋バラである。


一年を通して日本の庭を見ると、一番華やかな時期は初夏だろうと思う。卯月のころ、今で言う5月中旬から6月中旬。ゴールデンウィークが終わってから梅雨に入るまでである。今回のテーマであるバラもこの時期に開花するわけだが、他にも花菖蒲や芍薬に牡丹、ユリやツツジなど、日本古来の花も豊富である。色、大きさも逸品で、この時期の花は力強さがある。

花といえば春のイメージが強いが、パンジーやチューリップなど、4月に咲き誇る花たちは、きれいではあるが、可憐で、物足りない。春に芽吹いてすぐに咲く花と比較するのは酷だろうか。初夏の花は、成長してから咲くからパワーがあるのだろう。

つづく季節は梅雨である。梅雨が無かったら、日本の風景はどれほど変わっただろう。外来の植物は、たいていこの時期にダメになる。高温多湿の夏を越えられるかどうかが、日本で育てられる植物の条件のひとつだ。この時期でも、アジサイやタチアオイなど、きれいに咲く花はあるが、梅雨の雨と光の弱さに引きずられ、落ち着いた感じになってしまう。

梅雨が明け、真夏。この時期に咲く花は、実はほとんどない。アサガオやヒマワリなどが夏の花のイメージがある。確かに、この時期に花をつけ始めるが、実際に盛りになるのは8月に入ってからだろう。まだ学校は夏休みではあり、残暑も厳しいが、文月となり季節はすでに初秋である。

そして、秋。稲穂、紅葉、果実。日本の秋のイメージは、圧倒的に実りである。花といって思いつくのは、菊かキンモクセイ。花が無いわけではないが、時期もまばらで主役に欠け、春や夏ほどの華麗さはない。


冬へと向かう季節の中で、秋には春や夏のような華麗さは必要ない。従来の日本の季節感では、それでもよかったのかもしれない。

だけど、一年中花でいっぱいにしたい、という人も少なくない現代のガーデナーにとっては、少し物足りない。“いっぱい”とまでいかなくても、冬でも咲いている花があることを思うと、秋にはもう少し華やかさが欲しいような気がする。最後にひと花、というところか。

従来は、そのひと花を、菊が担っていたのだろうと思う。だけど、現代の庭で三本仕立ての菊というのは、いかにも合わない。小菊では主役というには少し貧相だし、大掛かりな仕立ては難しい。まぁ、たんに使い方を知らないだけかもしれないけれど、キクは、バラと似たような意味で、やはり苦手な花なのである。

ほかに何か無いかと思っていると、バラがあった。秋バラである。ガーデナーとして、秋に出かけるならば紅葉、でなければバラ園だろう。バラ園を主催する側からすれば、初夏だけではなく秋にも咲くバラはおいしい。大きく二回も人を呼び込める時期があるのだから。

Wikipediaのバラ項には次のようにある。

日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類は日本原産である。...<略>...このように日本人にはゆかりのある植物といえる。...<以下略>

もともとなじみがあり、日本では育てやすい花なのだ。バラは、たんにブームというだけではなく、日本の風土に根付いた日本を代表する花なのである。

そんなこんなで、秋の主役にと、わが庭にもバラを取り入れようと考え始めている。手間のかからない丈夫な品種で、秋にきれいなバラがいい。さて、何があるだろうか。その前に、植える場所を考えないといけないか。どこがいいだろうか・・・

悩むのもガーデナーの楽しみの一つである。




タグ:季節

冬の作業 [├ガーデニング・エッセイ]

今日は、落葉樹を剪定した。ニセアカシア・フリーシア、トネリコ、スモークツリー、メガネヤナギ、あとサクラくらい。剪定といっても、細くてどうにもいらなさそうな枝や、根元から出てくるひこばえを取るくらい。去年は、フリーシアの剪定を失敗して、あやうくダメにしちゃうところだった(参考:ショック!折れた - ニセアカシア・フリーシア)からちょっと慎重。まだ樹が小さくて、どの枝が伸びるのか良くわからないというのもある。他にジンジャーなど宿根草が枯れてきたので地上部を刈り取る。

ちょっとすっきりした。

以前は、このすっきり感が好きではなく、冬になって枯れても、そのまま残していたりした。何もなくなってさびしくなるより、残すのも自然でいいような気がしたのだ。まぁ、雑草と同じく、枯れ草も気に入らないらしい母親が、結局は切ってしまうのだけれど。

最近になって、適切な時期に、適切な手入れをすることの大切さが分かってきた。自然に任せて淘汰させるのであれば、ほっておいてもいいかもしれない。でも、庭に植えてある植物は、どれも大切なものだ。いくら安く手に入れたものでも、そこにあるものがすべてで、どれも容易に失うわけにはいかない。最高の環境に植えられるものばかりでもないから、淘汰に任せていては残るものは雑草ばかりとなってしまうであろう。ちゃんとした手入れをすることで、丈夫で元気な株となり、庭を美しく彩ることができる。冬は、多少さびしくても、切らなきゃいけないものは切らなきゃいけない。でないと、春の芽吹きや、夏の生育に影響が出る。

そうしてみると、春の芽吹きを待っている植物たちの姿に気づく。さびしいと思っていた冬の庭が、実は期待と希望に満ち溢れているということに気がつく。そう、ちゃんと手入れがされた庭は、冬でも美しいのだ。

もっとも、私の庭は、手入れが行き届いているとは言えず、美しいにはまだ程遠い・・・


あけましておめでとうございます [├ガーデニング・エッセイ]

あけましておめでとうございます。このブログも3年目になります。庭も5年目。どちらも、なかなか内容が充実しませんが、ほそぼそとでも続けていきたいと思っております。よろしくお付き合いください。

さて、年始ということで、今年の抱負といきたいところである。が、できるところからできるように、というのがスタンスなので、抱負というほどのものがない。まぁ、駐車場をそろそろなんとかしたいなぁ、とか思ってはいるんだけど。今のままだと、雨が降ると泥だらけになっちゃうので。でも、毎年思ってるんだよな・・・

というわけで代わりに、ガーデニングの夢、というか目標について書いておこうと思う。いくつかあるが、そのうちのひとつに「自分の庭の写真カレンダーをつくる」というのがある。ガーデニングを始めたころテレビ雑誌でやっている人を見たのが、きっかけだったと思う。その月の最高の庭を、翌年のカレンダーに使った、自分だけのオリジナルカレンダー。ちょっといいと思いません?

月1枚、年でたったの12枚の庭の写真。だけど、これがなかなか撮れない。去年の写真を見直してみても、枚数はあれど、これは!という写真を月1枚選ぶことができない。春から夏の盛りの月はともかく、写真を撮っていない月さえある(特に冬)。ふた月に1枚、年6枚としても、なかなか厳しい。まだまだ目標には、遠く及ばない庭であることを悟らされる。

そんなわけで、最高(かどうかわからないけれど)の一枚を年賀状にするのがせいぜいである。撮影日は6月24日。今のところ、この時期が一番見栄えがするようだ。


夏が来た! [├ガーデニング・エッセイ]

せりさんの手紙が効いたのか、天気も良くなり、暑い。おとといからセミも鳴き出している。夏である!

カァー!っと照りつける太陽とむっとする暑さ。私の「夏」のイメージである。子供のころは、梅雨が明ける7月20日前後から夏休みに入ることもあり、夏といえば7、8月、特に8月のことだと思っていた。だけど、よくよく気をつけてみると、8月の後半は上記の夏のイメージからずれてきている。蒸し暑さは変わらないが、すでに「秋」の気配がある。日照はおとなしくなり、高原では赤とんぼが舞い、海にはくらげが出る。「夏」は、せいぜいお盆くらいまでの一ヶ月にも満たない期間でしかない。日本には四季があり、単純に四等分しても三ヶ月は夏のはずである。あとの二ヶ月はどこに行ったのだろうか?

「梅雨」も夏なんだ、と気がついたのは最近のことだ。雨ばかりで、お日様は顔を出さず、じめじめむしむしした日々。あの時期を「夏」だとは思いたくなかったのかもしれない。「梅雨」が夏だとすれば、私のイメージの「夏」は「真夏」と言ったほうがいいだろう。そういえば、5月の連休くらいから急に暑くなる。上着がうっとうしくなり、歩くだけで汗が出るようになる。「初夏」である。日本の夏でもっとも過ごしやすいあの時期がずっと続けばいいのに・・・


「日本の梅雨のように、夏季に雨季がくる気候は珍しい」と聞いたことがある。何に対して珍しいのかはよくわからないが、たぶんヨーロッパ、地中海あたりだろうか。太陽が照り付けるイメージがある地中海では、夏は雨が少ない。

日本の夏は、熱帯と言ってもいいのかもしれない。浜名湖花博の開園当初、国際庭園のいくつかは貧弱だった。どこの国か覚えてないが、植栽されていなかったところもあった。まだ気温が低いため、植栽できなかったのだ。夏になると、それらの庭園は一変した。珍しい南国の植物が咲き乱れていた。2004年は暑い夏だった。うだるような暑さの中、それらの庭園は、まさに「南国」という感じで、輝いていた。

浜名湖花博は終わり、跡地は浜名湖ガーデンパークとして無料の公園となった。当初の計画ではつぶす予定だった国際庭園は、要望により一部残されることになった。だけど、あのときの南国の庭園はもうない。あれらの植物は日本の冬を越せないのだ。

夏の花といえば、アサガオやヒマワリが思いつく。春にタネを蒔き、夏にぐんぐん成長し、真夏に花を咲かせる。小学校のときに育てたときの印象が強いのだろうか、花といえばアサガオで夏、というイメージがあった。

庭づくりを始めてみると、意外なほど真夏に使える植物がない。いいな、と思っても耐寒性がない。冬越しが大変だから、そういうのは選べない。夏から秋まで咲くような、たとえばペチュニアなどでも、真夏の前には切り戻しをして、花をつけないようにして夏越をする。風通しを良くし、花で体力が奪われないようにして、夏を越させるようにしないと耐えられないものが多い。高温多湿は、人間だけではなく、植物にも辛い季節なのだ。冬をタネで越す春蒔きの一年草は、日本では育てやすい夏の花なのだろうと思う。

真夏に花が咲き乱れているのは、少し暑苦しいかもしれない、とも思う。花ばかりが庭じゃない。木陰のほうが恋しい季節だ。夏には夏の庭があるだろうと思う。


タグ:季節

園路 [├ガーデニング・エッセイ]

最近、テレビはリアルタイムで見ることはほとんどなく、見たい番組を録画してみるばかりである。「素敵にガーデニングライフ」は、毎週見ている数少ない番組の一つで、当然のことながら保存もしている。
録画環境は、TransCubeというHDDビデオレコーダーの先駆けの製品を使っていて、PC経由でTeraStationというLAN接続ハードディスクコピーし、DVX-600というネットワークメディアプレイヤーで再生するという、きわめてマニアックな構成となっている。まぁこれも、2011年のアナログ停波までしか使えないから、そろそろデジタル放送への対応を考えないといけないところではある。

それはともかく、この環境の利点は、すでに100回を越える放送をテープを入れ替えるという作業なく見れるところにある。しかも、ランダム再生なんてのもできる。これが意外性があって結構面白く、見始めると延々と見続けてしまったりする。

「素敵にガーデニングライフ」では、日本の庭だけではなく、海外の庭も紹介している。放送回数に対する紹介する庭の数の割合から考えても、海外の庭は厳選されたものであるのは明らかではあるのだけれど、それでもレベルの差は歴然としていて、日本のガーデニング文化の未熟さを感じるところではある。

そんなわけで、日本の庭の紹介よりは、海外の庭の紹介のほうが楽しみだったりするのだけれど、ランダムな順番で番組を見ると、当然のことながら、日本の庭と海外の庭が混じって再生される。で、気がついたことがある。

園路について、である。


日本の庭の園路は、概して細い。そして、細い園路には、さらに植物がせり出している。園路はさらに細くなり、人ひとりがやっと通れるくらいだ。「狭いから。」たぶん、すぐに思いつく理由だろう。だけど、果たしてそうなのだろうか?プロが施工したと思われる庭の園路は十分な広さが確保されているし、狭い庭でも海外の庭の園路は、確かに細いが、植物に侵食されることなくスペースがはっきりしている。

絵画や写真で構図を決めるとき、「空間」が重要である。日の丸構図は、下手の見本と言われるくらいで、被写体をずらし、空間を空けることによりバランスのよい絵になる。たいていの芸術で、「間」は重要な要素である。であれば、ガーデンデザインにおいて重要でないということがあるだろうか?

園路は、庭の構造の重要な要素である。バックヤードに麻袋で園路を作ってから、不思議とアイデアがわいてくる。池を作り、丘を作り、今年は雑草の広場ではなく、ちゃんと庭として見れるくらいになった。それまでぼんやりしていた庭の構造が、一気にはっきりしたようだった。

植物に侵食される、というのはどうなんだろう?確かに、花壇からあふれさせることで、レンガやブロックなどの人工物の直線的なラインを覆い隠し、ラインをやわらかくするという技法はある。だけど、人ひとりがやっと通れるくらいまで植物に園路が侵食されてしまうのはやりすぎではないだろうか。

園路ではないが、ポールスミザーは四季のガーデン生活で、「狭いからこそ、川の流れになる部分は十分に広く取るように」とアドバイスしていた。「はじめての庭づくり」のコーナーでアシスタントの影島さんの「川の流れがあるような」というアイデアに対してのことだ。「植物で侵食されて、川に見えなくなってしまうから」ということだった。

おそらく、「細い園路」は、花が好きで、植物が好きで、庭のデザインより優先されてしまった結果なのだろうと思う。だけど、植物をより引き立たせるためにガーデンデザインはある。そのために「間」を大切にしたい、と思う。


植物に覆われるといえば雑草。その雑草を取っていて、気がついたこともある。園路の雑草を抜くだけで、きれいに見えるということだ。

バックヤードの植え込み部分は、まだ全部が整備されていない。未整備の部分は雑草が茂るが、ほとんどはそのままにしている。雑草も(この場合は野草というべきか)きれいなものだから、手の入っていないところが多少乱れていてもあまり気にしないようにしている。だから、雑草取りは、花壇の中で目立つやつとか、園路だけになるのだけれど、園路の雑草を抜くだけで、庭はすっきりし、きれいに見えるようになる。

そう考えると、イングリッシュガーデンの芝生の園路の機能が優れていることがわかってくる。

イングリッシュガーデンでは、芝生の美しさが際立っている。芝生の広場は美しく、その美しさに惑わされ、玉砕している日本のガーデナーは数知れないだろう。でも、よく見れば、芝生は広場だけではなく、園路にも使われている。

芝生の園路は、あまり細くはできないだろう。手入れができなくなってしまうからだ。自然と広めの園路となる。そして、芝生のエッジは、きれいに整えている。ちゃんと手入れができていることの証で、ステータスでもある。だから、芝生に植物がはみ出してきたりはしない。やはり、エッジの手入れができなくなってしまう。芝生のエッジは、曲線も作りやすく、角を隠す必要もない。

芝生は、その美しさのためというより、もっと機能的なことから選択された実用的なものに思われる。植物の特性から庭の構造に一定の制約を作り出しガーデンデザインを規定し、その緑はキャンバス(背景)となる。イギリスでも芝生の手入れは大変だろうが、ちゃんと手入れのされている芝生をステータスとすることで、機能性を捨てないようにしているのではないだろうか。


さて、我が庭のバックヤードの園路も、麻袋がだいぶ痛んで雑草を防止することができなくなってきた。そろそろ他の素材でちゃんと園路を確保する頃合だ。芝生の機能性は見たとおりだが、日本では芝生の手入れは、ちょっと大変すぎる。園路の素材としては、何か他に適当なものはないだろうか?

最初は、ウッドチップを敷こうと考えていた。エッジは直線にならず融通が利く。その分、気をつけないと侵食される恐れもあるが。でも、最大の問題は費用だろうか。園路の長さを考えると結構な出費になる。そのうえ、麻袋と同じで時間がたてば痛んでくる。そうなったらチップを追加することになるが、それにはどのくらいの追加出費が必要になるだろう?

レンガはどうだろう?最初の出費はかかるが、追加出費はないと考えていいだろう。だけど、エッジが直線的になってしまうという問題はある。曲線をつくる施工は、ちょいと面倒だ。

砂利。レンガよりは安くできそうだ。ウッドチップほどの追加はいらないだろう。エッジのラインも自由にできる。ふ~む?なんか、一番よさそうな気がする。そういえば、日本庭園の園路でも良く使われてなかったか?イングリッシュガーデンの芝生のように、その風土に合わせて機能性を考えると、残ってくるものは決まってくるのだろうか。



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